祖父

祖父が亡くなりました。

半年前の今日。

 

高円寺の地下にいるときに一報が入った。その足で埼玉へ戻り、支度をし夜中家族を乗せて一路新潟へ向かった。施設へ到着したら、意識が回復した祖父がそこにいた。あぁ、良かった。昨夜の段階でそれなりの覚悟を持ってきてくれと従兄弟から云われていたが、祖父の意識は清明だった。ベッドへ横たわる祖父を見ていたら、こっちを向いて何かを訴えていた。「ここから出して、家へ連れて行ってくれ!」、「頼むから家へ連れて行ってくれ!!」

じいちゃん、うん分かった。家に還ろう。

 

脊髄損傷事故から37年間。

僕が長岡で生まれた時には、既に車椅子での生活。懸命にリハビリに励む姿は、夏休みなどに帰省した時の記憶と共に残っていた。じいちゃんのリハビリ器具で一緒に筋肉トレーニングをしたり、不謹慎にもリハ器具をおもちゃ替わりに遊んでいた。お〜いお茶の川柳の賞を取った時も一番最初に報告した。進路で悩んだ時、長岡まで旅をした。第一志望の大学受験に失敗した時にもじいちゃん、ばあちゃんを頼った。

ここには、数々のストーリーとエピソードが刻まれている。

 

意識回復を見届け、付き添う母を残して、父と妹、僕の三人は埼玉、東京へ。それぞれ翌日仕事が控えている。

 

翌朝、訃報。

通夜に出るため、ハンドルを握り、父と妹を乗せ再び新潟へ。実感無し。

色褪せた祖父と対面した。慣例に添った通夜が行われ、数十年振りに親戚に再会した。

「はよ、結婚せー」「ちゃんとまんま食べてんのか!?」、、、たくさん心配してくれた。

翌日の告別式は下準備まで手伝い中座し、一人東京へ戻り、個展のイベントへ。被り物をして持て成す企画だったのだが、方や新潟では告別式。方や東京では被り物。非が押し寄せ何とも言えない気持ちになってしまった。

先日、舞台挨拶で新潟へ行けることになり、仕事を終え、新潟市内から親戚の車へ乗り、長岡へ。墓参りをしてきた。長岡の本家へ着いた頃には、夜更け。

昔、じいちゃんと散歩した道を歩いてみた。国道8号線、土手、駄菓子屋跡、田んぼ、畑、ビニルハウス、上越新幹線信越本線跨線橋。当時の記憶は曖昧で、道が再開発で変わっていたり、新しい建物に遮られていたりと、当時の景色をそのまま吸い上げる事は出来なかった。

暗い夜道を歩きながら、ここで生まれて良かったと思った。

じいちゃんが亡くなり、生きることへの喜びと悲しみを同時に知った。学んだ。それは常に表裏一体であること。日常では生の実感を学ぶことはなかなか出来ない。

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この気持ちを胸にもう少しここで生きてみようと思う。

 

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じいちゃんと。

 

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さようなら

いつまでも忘れません

 

友一

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